出産以後、子どもを育てながら特別養護老人ホームの施設長として日々慌ただしく働く中で、当たり前だった私の毎日はなくなりました。
朝5時半に起きて子どものお弁当作りから始まりドタバタと出勤。立て続けに入る会議や業者との打ち合わせをしている最中、保育園からの電話。「熱が38度あります」、夫は仕事を抜けられないので、スタッフの皆さんに謝りながら残りの仕事をお願いし受診させて連れて帰る。結果はインフルエンザ。明日からの仕事どうしよう。病児保育の予約は満員。祖父母は遠方で頼れない。どうにもならないけどどうにかするしかない。全てが背中に重くのしかかる...。
子どもと過ごせるのは嬉しいことなのに、自分の人生が 自分のものでなくなっていくような余裕のなさを感じる日々。それと同時に、保育園、病児保育、学童保育、ファミリーサポートなどの福祉の支えのありがたさを痛感しました。 ある日、会議を終えて帰宅すると夜10時。静かなリビングで見つけた子どもからの置手紙。「ままへ、今日も一日おつかれさま。あしたもいい日にしようね。」
疲れた心に沁みました。
子育てで背負う負担は多大です。少子化の時代、本来社会全体で支えるべきことまで親まかせ、当たり前の暮らしを圧し潰す。そんな社会で子どもが増える訳がない。
子育ての課題に今直面する自分だからこそ、変えなければならない政治があることに気づかされた瞬間でした。
自身が相模原で特別養護老人ホームの施設長として10年以上の間、高齢者福祉・地域医療を取り巻く多くの課題と関わってきた中で、介護士をはじめ看護師、ケアマネージャーなどの人材不足、実情に見合わない介護報酬、現場を知らない制度設計や本人の望まぬ過剰な終末期医療の在り方に大きな疑問を感じてきました。
コロナ禍においては命を削って働く福祉・医療職の現場の姿を目の当たりにしてきました。陽性であっても入院できない。施設は生活の場であるにも関わらず、クラスターが起きた際には自身の命の危険も感じながらケアワーカー達は高齢者の暮らしを支えるのに必死でした。毎日増える陽性 者、職員も感染し人手不足からの負担がさらに増えていく。施設の責任を問われご家族から非難されることもありました。そんな状況に心を病んでしまった職員も多数いました。
「エッセンシャルワーカー」という言葉も生まれましたが、命を支える「絶対になくしてはならない福祉の仕事の必要性」を改めて感じた一方で希望の見えない業界の未来予想図が常に重くのしかかりました。
2040年には69万人の介護人材不足。年々少なくなる 求人応募。今頼りにしている外国人介護士も獲得できなければ3人に1人が高齢者になる未来をどう支えるのか。若い世代が仕事や出産、進学を諦めて支えなければならない、もしくは老老介護で互いに不安を抱えながら過ごす未来は想像に難くありません。
「福祉」という言葉を辞書で引くと、人々の幸福で安定した生活を達成しようとすることとあります。核家族化、少母化等、共働き、多様な生き方が尊重され社会が大きく変化した今、それに応じた社会の在り方、国の支援の在り方が必要です。
私、大塚さゆりは仕事と子育ての両立を実践してきた現役子育て世代の母親の立場として、特別養護老人ホームの施設長としての様々な福祉の課題と向き合ってきた経験をもとにリアルな声を政治に届け、行動してまいります。